https://www.sportsentry.ne.jp/event/t/84757
久々にエントリしていたオープンウォーターだが、コロナ禍のために中止。
この大会に合わせて、ウェットスーツを新調していたのだけど。
wiggleで最安値のレディメード品だけど。
https://www.sportsentry.ne.jp/event/t/84757
久々にエントリしていたオープンウォーターだが、コロナ禍のために中止。
この大会に合わせて、ウェットスーツを新調していたのだけど。
wiggleで最安値のレディメード品だけど。
31.9km
+2,289mD+
7:09'
群馬県はマンボウが発出されているところだが、嬬恋村は対象外とのことで、レースは決行。
前日に受付を済ませ、鹿沢温泉に泊まった。
ロング、ミドル、ショートの部とあり、ロングにエントリしていたのだが、レース当日の午後遅い時間帯からの悪天候の予報のために、ロングの部は、ミドルコースを2周ということに変更になった。
6時にスタート。
前日受付だったため、30分前に現地入り。
会場は、夏の閑散としたスキー場。
コロナ禍の時期でもあり、参加者数は少なめ。
ウェーブスタートではなく、間隔を開けた上での一斉スタート。
靴は、Montrail Men's Bajada 2 GM2167
3年前のアイガーウルトラトレイルの時に初めて下ろしたレース用だが、まだ累積で100kmも走っていないと思う。
スタートしてすぐは、ゲレンデを駆け上る。
トップ選手はここでも走りまくるが、僕は早足ペースで。
何しろ、かなり久しぶりのトレイルだった。
レースは、1年半前の伊豆トレイルジャーニー以来。
山練もまったくやっていない。
トレッキングをちょこちょこやっていたくらい。
とにかく上りも下りも脚が激しく衰えていることは確実なので、まあ仕方ない、リハビリのつもりで走ろう、と覚悟を決めていた。
ゲレンデを離れて、トレイルに入る。
既に最後尾集団。
気持ち良い山間ルート。
それなりに走れる。
ミドル2周ということは、1,000mアップして、1,000ダウン。これを2セット、というコース。
これはけっこうハード。
四阿山の上りは、ひたすら延々とダラダラ登るコース。
BDの軽量カーボンポールをリュックに装着していたのだが、早々に手に持って補助としながら登った。ストックは全コース使用可で、これはありがたい。
当然だけど、速い選手ほどストックなんか使っていない。
遅い選手ほど、ストックに頼って進む。
四阿山と言えば百名山の一つで、登ったことはなかったのでせっかくだからピークハントしたいところだったけど、コースは山頂を通らない。
天気も悪く、山頂はまったく見えず。
下りはそれなりに走れる。
上りも下りも、独特の筋肉を使うので、すっかり山錬ができていなかったのでともにキツイのだが、下りは経験とテクニックだけでもある程度は走れるから。
しかし、上りはほんとにきつかった。
最後尾集団だし、かなり制限時間はきついだろうと思っていた。
しかし、どのくらい厳しいタイムなのかがさっぱり分からない。
まず、キロポストが全く無い。
「次の関門・エイドまであと何キロ」という表示もない。
関門その場所も、ボラスタッフが一人だけぼーっと立っているだけで、そこが関門であることが分からない。そこが関門であることを示す表示版がない。
従って、関門を自分が時k何愛に通過したのか何なのか分からない。
なおかつ、前夜にコースが変更されたので、紙ベースのコース地図が配布されていない。PDF版の地図がスマホにダウンロードしてあったが、時間ギリギリなので、いちいちリュックを下ろして背中からスマホを取り出して確認する時間が惜しい。
従って、関門まで後何キロなのか、何が何だか分からないままオーバーペースで走り続けることになってしまった。
これはしんどい。
しかし、このスカイレースシリーズは、こういうものらしい。
よくわからないまま、15.5km地点 09:15関門と、21km地点 10:30関門を通過していたらしい。
21km地点関門は、ほぼ1分前に通過。
(しかし、関門にいたおにーちゃんが、何を言っているのかよく分からず、関門通過した時点では、関門ははるか先にあってもう間に合わないだろうと思っていた)
この時点で、最後尾。
スウィーパー2人組が背後5mくらいを付かず離れずついてくる。
いちいちプレッシャーを感じても仕方ないし、この後は関門は存在しないので、マイペースで淡々と登る。
しばらく激しい雨が降ったため、コースはぬかるんでおり、1周目よりもきつい。
2周目の下りに入ったら、ひたすら走り。制限時間内にフィニッシュできることを確信した。
下りは、脚力が衰えていても経験と技術で走れるので、何とかなるもんだ。
ということで、制限時間8時間のところを7:09'でフィニッシュしたのだが、後にリザルトを見ると、最後から2番目だったようだ。
レース前の運営側の案内によると、
・とにかくきついです。
・トレランとは違います。スカイレースです。
・直前まで、参加コースのグレードを落とせますので、不安があるならお勧めします。
とのことだった。
どこがどうキツくて、トレランとどのように異なるのかさっぱりその説明がわからないので、そのままロングで出走してしまって、完走したのでまあ結果オーライで良かった。
自分なりに感じた、スカイレースの特徴を、トレラントの比較という視点でまとめると、
・レース志向が強い、ガチ度が高い。
・若い選手が多い。平均年齢が低い。
・町おこし志向、参加者に楽しんでもらおうという感覚は薄い。
・ホスピタリティ低く、ローコスト・オペレーション。
良くも悪くも、こんな感じかと。別に悪いことではないけど、ちょっと僕はもういいかなあ、という感想。
第一回目の大会ということで楽しみにしていたのだが、コロナ禍のために中止。
一部リファンドを受けるか、2022年大会への出走権繰り越しかを選べる。
2022年大会は3月開催予定とのことで、前後の金曜、月曜ともに仕事が入ることが確定であり、土日のみの弾丸ツアーで九州のウルトラトレイルのレースに出るのはちょっとつらいので、諦めることとする。
http://www.xn--djr420n.tw/2021TNF100/info_en.html
2020年にエントリしていて、コロナ禍で中止となり、出走権が2021年に繰越になっていた。
2021年も中止。
13:46’55”
http://michikusa-ultra.com/event/minamiizu.html
みちくさシリーズ、伊豆半島の先端のロードのウルトラマラソン。
コロナ禍が落ち着いた時期、かつ規模の小さい大会なので、無事に開催された。
久しぶりのレース、しかもウルトラなので、完走できるかどうかちょっと不安はあった。
前泊宿にて3時前に起床。出かけるところ。
5時スタートで、制限時間は14時間だった。
スタート会場で、新卒時代の同僚のS井と久しぶりに会った。
彼は僕より遥かに速く、この後会うことはなかったが、同じレースに仲間が頑張って走っている!というのは、とても気持ちの励みになる。
暗闇の中をスタート。
マスクをして走り出したが、その後、マスクを装着することはなかった。エイドでの食べ物類はラップで個別に包んであり、エイドに進入する時点で手のアルコール消毒を受ける。中途半端な対応ではあるが、何もやらないよりはましだ。
エイドの運営は、このコロナ禍の下で大変だったと思う。感謝だ。
日没前、集団コースロスト。
幹線道路を、右折する地点の案内表示が分かりづらく、そのまままっすぐ進んでしまったようだ。
間違えた地点からかなり先まで走ってしまった。
運営のマイクロバスでロスト地点まで迎えに来てくれて、間違えた地点からだいぶ先の第一エイドまで送ってくれる(しかも、この間、走っている選手を追い越す)というナゾの救済措置を受けた。タイムの調整は無し。
ゆるい大会である。
アップダウンは事前の想像通りに激しく、かなり辛かった。
しかし、斜度キツめの上り以外は延々と走り続けた。
左足首、足の裏が痛くなって、だるくはなったが、走るのをやめて歩き出すほどではなかった。
これは、一週間前の週末の追い込みが功を奏したのだろうと思う。
日が昇ってくる。
天気良く、暖かく、風はなく、絶好のマラソン日和だった。
海沿いの遊歩道。
トレイルもあったりして楽しめるコースだった。
弓ヶ浜。
何より、南伊豆の海が素晴らしい。
あの海を日の出から日没まで丸一日堪能できるのは素晴らしい。
この地域、僕は何度も来ているけど、本当に好きだ。
波勝崎では、猿の襲撃を受けるw
人に慣れていて恐れないし、近付いて威嚇してくる。
日が暮れてくる。
電線の上を猿が歩いている。
そして、日没。
ちょっときついタイム。
この時点では、序盤の集団コースロストの救済措置がどういう扱いになるのかもよく分かっていなかったし(結局、制限時間の延長などはなかったようだ。ゆるい運営だな、よくも悪くも)、上りもひたすら走る。きついけど、走る。
フィニッシュ。
既に真っ暗。
ネット13:46'55"
制限時間は14時間だったので、ぎりぎりだった。いやしかし、走っている最中は、これは行ける!という感触しかなかったけど、日没後はけっこうきついかも・・・とちょっとヒヤッとした。本当に完走できてよかった。
2019年は、前半に大きな仕事の山場があり、ストレスによる不摂生でぷより、秋田駒での足のケガに苦しめられ、出たウルトラは、ロードもトレイルもことごとく時間切れDNFだった。南房総ウルトラ、チャレンジ富士五湖、上州武尊山トレイルと、全て無念の関門時間切れだった。
今回のレースも、かなり厳しい闘いになるだろうと思い、走り始める前は100%の自信はなかった。しかし、それでも完走することが出来て、本当に良かった。これからに向けての自信になった。
いやはや疲れた。
筋肉痛というのはないけど、左足首、足底が疲れたな。
左足小指に豆ができて大きく膨らんでいた。これは、翌朝にはいつのまにか潰れていたけど(布団の中で潰れてしまったのかな?)
https://fujimountainrace.city.fujiyoshida.yamanashi.jp/
コロナ禍により、中止。
山頂コースにしか興味はないのだが、5合目コースを完走しないとエントリできないので、仕方ない。
7月の平日開催ということもあり、過去にはエントリしたものの仕事が入ってしまって泣く泣くDNSとしたこともあった。
http://www.spatrail-shima-kusatsu.jp/
コロナ禍により、中止。
2015年、エントリしたもののケガでDNS。
ワンウェイのコースゆえに前泊必須で、ちょっと不便ではあるのだが、コースは面白かった。コロナ禍が収まったら、また走りたいレースである。
https://runnet.jp/entry/runtes/user/pc/competitionDetailAction.do?raceId=243433&div=1
ロング35kmの部に、ふるさと納税枠でエントリしていたが、コロナ禍により中止。
ふるさと納税枠の出走権は、2020年に繰り越し扱いとなった。
九份郊外のトレランレース。
ラン仲間のF田さんと一緒に参加するつもりで楽しみにしていたのだが、コロナ禍のため「2021年に延期」ということで、事実上、この年は中止。
この5月頃は、海外に出ることは不可能になりつつあったので、国際レースとしては当然の判断。
https://www.r-wellness.com/fuji5/2020/about/0317.html
4回参加して、まだ一度も完走できていないこのレース、UTMFより難易度が高いw
リベンジを目論んでいたのだが、コロナ禍により中止。
2019年に参加して、途中関門時間切れでDNFとなったこの大会、リベンジを果たそうと意気込んでいた。
この時期になると、新型コロナウイルス感染拡大が広まり、各種イベントは軒並み中止。
2020年は受難の年だった。
東京オリンピック・パラリンピックまで「2021年に延期」となった。
尚、スタート会場である、勝浦ホテル三日月は、武漢から帰国した日本人駐在員の2週間隔離を受け入れたホテルとしても有名であり、その社会に貢献しようという姿勢は素晴らしいと思う。
GPS測定ベースの距離 21.3km
2:07’02”
ウラジオストク郊外の、凍った海の上を走るというハーフマラソン。
以前から走ってみたいと思っていたのだが、この年、スケジュールの都合がついたので、バイク仲間のM山さんをお誘いして、二人で参加した。
ウラジオストクを訪れたのは2回目。メシはうまいし、女性はきれいだし、今度は夏に行ってみたいな。
2020年2月のこの頃は、世界的にコロナ禍が広まりつつある序盤の頃で、ちょうど直前に中国人のロシア入国が禁止されたところだった。中国人選手はいなかった。
町中ではまだマスクをしている人の姿は少ないが、博物館などでは、マスク着用を求められることもあった。しかし、「今持っていない」と言ったらそのまま通してくれるなど、いいかげんだった。
ウラジオストク市内からは、会場までシャトルバスが出ている。
会場にて、バンドの演奏。
まさかの雨!
雪が降ることは当然あるだろうと予想していたが、まさか雨が降ることになろうとは思いもしなかった。
当然、寒い。
ロシアのちっちゃな子は、ほんとうにかわいい。
スタート会場。
けっこう、ガチのランナーも多かった。
凍った海の上を走る。
後にGPS測定の記録を見たら、本当に海の上。
どのくらい氷が分厚いのかまったく分からないが、クルマやオフロードバイクがかっ飛ばしたりしていた。
雨が降り続いていた。
氷の上に雨水が溜まり、路面はびしょびしょ。
これは、たまらない。
靴が濡れるのは避けようもない。
序盤は、思うように走れなかった。
何しろ、氷の上なので、滑りそうで怖くて、変に力んだ走り方をしてしまっていた。
だんだん慣れてきて、ペースも上がる。
走行中、クリアグラスのアイウェアのレンズが曇ってしまって仕方がなかった。
ロシア軍によるエイド。
どういう関係なのか分からないが、軍が全面協力している。
フィニッシュ。
靴は、トレランシューズに、このようなゴムスパイクをはめて走った。
このゴムスパイクは、以前、ドイツで買ったもの。
レース運営からも、参加賞としてゴムスパイクが配布されていたのだが、これはかなり中途半端な代物で走りにくいらしく、コース上に点々と外れてしまったスパイクが放置されていた。走りながら投げ捨てているガチランナーもいた。
つるつる滑る、というほどではなかったので、スパイク無しでも走れただろうと思う。
ロシア軍による炊き出し。
米?とコンビーフを煮たもの。
レース後に、更衣室もあったのだが着替えるのが面倒で、M山さんと合流して、そのまま帰ることにした。
市内までのシャトルバスに乗り込むが、乗客がいっぱいになるまでは出発しない仕組みで、待ちが長い。
寒そうにしていたら、若いきれいな女性が、テルモスからお茶を入れて、二人で飲め、とくれた。
よほど寒そうにしていたのかな?
その女性は一人だけで乗っていて、服装からしてレースに参加していたわけではなさそうだった。出発前にシャトルバスから降りていったので、レースに参加している彼氏か家族を待つ間にバスの中で風除けに座っていただけだったのかと思う。
ちょっとびっくりした体験だった。
4:00'51"
ミャンマーのヤンゴン市内を走るフルマラソン。
1月とは言え、ミャンマーなので、もちろん暑い。
英語での案内は充実しており、外国人もたくさん参加していた。日本人もたくさんいた。
スタート・フィニッシュ会場は、市街地からはちょっと離れているが、ヤンゴン市内ではほぼ問題なくGrabが使えた。
ミャンマーを訪れるのは4回目、ヤンゴンは2回目だった。
今は軍によるクーデターで混乱しており、コロナ禍が収まったとしても、国際レースがまともに開けるようになるかは分からないな。
5時スタートなので、真っ暗。
みんなで準備体操。
冠スポンサーのYOMA銀行のブース。
おふざけコスプレのおっさん。
よく見たら、ランシューズも左右異なるやんか。
21km地点。
スタート時点では真っ暗だったが、日が高くなってからは暑く、キャップのひさしから汗が滴り落ちるほど。
エイドの水を身体にぶっかけながら走った。
そんなに汚れていないし、それなりに走りやすい。
路駐のクルマもちゃんと撤去してあった。
警察が全面的に交通整理に入っていて、道路の横断なんかもちゃんと止めていた。日本の警察と同じような、婦警さんの制服がかわいい(しかし、写真なし)。
水と、スポンサー企業のやたらと甘いスポドリのみ。
食べ物は、無し。
一箇所だけ、バナナが置いてあったけど、取りそこねてしまった。
なんと、トイレが皆無。
序盤で、コース脇にたまたま有料トイレがあり、「申し訳ないけど、今、現金持っていないんだ!」とタダでお借りした。
インヤー湖畔。
アウン・サン・スー・チー邸。
ゲート前で記念撮影。観光スポットですね。
この帽子は、スポンサー企業であるKFCのもの。作りが安っぽいので、レースが終わったら捨ててきてしまった。
中盤までは一定のペースで走れていたのだが、後半、ペースが落ちてしまった。